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第2回JAPAN MEATING@陸前高田 4
会場の高寿園より車で約15分位の所にある小友小学校へ向かう。
海岸沿いに東へ。
実はこの辺りはまだ手つかずの所が沢山ある。
道は一応通してあるが、海抜が最大で87cmも下がってしまった地域(被災地では最大)なので、本当に海岸に近い所は大潮のときは冠水してしまうそうだ。




現地へ行った人なら分かるけど、一体どれだけの時間がかかるんだろう…と思ってしまう。
無知な中年としては、集まった義援金、遣い道は沢山あるはずなのに、と思う。
まだ1割しか遣ってないと聞くと、余計に焦燥感を煽られる。

海岸沿いを抜けて少し坂道を登ると小友小学校が見えてきた。



実はここは小学校なのだが、小友中学のグランドは仮設住宅が建ったりしているので小学校に中学生も登校しているようだ。
一度浸水した場所には仮設住宅は建ててはいけないという政府の通達で、小友小のグランドはグランドとして残されているそうだ。
震災以来、被災地を駆けずり回っていらっしゃる秋山ご住職に聞くと、このグランドも瓦礫だらけだったのを、皆で必死に撤去し、グランドとしてやっと使える様になったとの事。



前の記事にも書いたが、前回の炊き出しに来てくれた、気持ちのいい小友中学野球部のみんなに、何か力になれないか、と29ersのメンバーが(と言っても大先輩方ですが…)色々と当たってくれた所、なんと、巨人軍の清武代表に話が繋がり、高橋由伸選手が野球部全員の名前入りのサインボールと、激励の色紙、手紙を書いてくれたのでした。
この場をお借りしてもう一度御礼をさせて頂きたいと思います。
本当に心温まるお計らいに感謝致します。
ありがとうございました。

そう、これを渡すセレモニーをさせて頂ける事になっていたんです!

本当にすごい人達が29ersに協力してくれていると、武者震いが収まらない。
繋いで下さった福原氏も、わざわざ大阪から丁寧に包装して自らお持ち下さった。ありがた過ぎる。
ドンドン輪が、和が拡がって行く。
私利私欲では無い繋がり。本当に強い輪、和、絆。

チームメイトの半数近くを失った野球部員のみんなの気持ち、傷は計り知れないし、今回のプレゼントが彼らにとってどれだけの事になるのかわからない。
でも、少しづつ出来た小さな絆を大切に、大事に、感謝の気持ちを持って、出来る限りの事をさせて頂く、この事の重要さ、意味を改めて知った。教えて頂いた。

中での撮影は控えさせて頂いたが、体育館でセレモニーをさせて頂いた。
最初に、長松ご住職から御挨拶があり、その後僭越ながら、私も御挨拶させて頂いた。
不慣れな役目だったので、正確には何を話したか覚えていないが、とにかく、みんなが彼らを応援している事、一生懸命やる事が人を感動させ、勇気づけ、ハッピーにして行く事、29ersもそう信じ、努力し続けている事、それだけをお伝えさせて頂いた。

続いて、今回巨人軍と小友中学野球部、29ersを繋いでくれた(株)シュリウスの福原代表から、本当に熱い激励の言葉と共にサインボールとグッズ、色紙をを一人一人に手渡して頂き、最後にキャプテンに亡くなられたメンバーの名前入りサインボールを託した。

最後にキャプテンから我々に、本当に元気いっぱいの清々しい、気持ちの良い感謝のメッセージを頂き、セレモニーを閉幕させて頂いた。



小友中学野球部はこの日は大会の試合があるそうで、終わったらバスで試合場に急いでいた。
頑張って欲しい!

その後、前回と同じく秋山ご住職に先導して頂き、広田小学校に救援物資を届ける。



教室を使って救援物資の受け入れ受付が作られており、その他の教室は学年毎に教室を遣っていた。
外から授業風景を覗いた。みんな元気に授業を受けていた。

グランドや中庭にあたる所には仮設住宅が建ち並んでいる。


全ての地域では無いのかも知れないが、ニュースで聞いた限りでは、仮設住宅に移ったら生活は自分達で行わなければならないらしい。
勿論職場を失くされた方が殆どだろうから、一体どうしてらっしゃるんだろう…と考えてしまう。
秋山ご住職の話では、一番に役所関係が復旧されたので、役所に勤める方々は給料が支給され、そのせいで一般の方々の生活に関する対応が遅れているとか。
そんな事は無いと思いたい。

少し現地の方とお話をして高寿園に戻る。
もう既に撤収が始まっているはずだ。
実は今回は炊き出し後にもう一つセレモニーがある。
その為、前回より少し早目の撤収になったのだ。

戻るともう既に大半の撤収は終わっており、僕達が小友小学校に行っている間に、近くの高田高校の生徒が来てくれていた。
今回は何もかも残す事無く食べて頂き、非常に無駄のない炊き出しだった。
今回も奇跡的な好天に恵まれ、沢山の笑顔を頂き、また新たな勇気の源を頂いた。
特に関西に住んでいると、どうしても悲観的なニュースが多く、政治の不安から暗い印象を受けるが、いつも帰る時に胸に残るのは、「希望」だ。
決して被災地の皆さまの胸の内は希望ばかりでは無いだろう。
でも、人と人が交わる時、希望を持っていればそれは相手に伝わり、また外側に伝わって行く。
喜びが希望になるのだから、喜びを伝えたいという気持ちがあれば、それは希望へとどんどん拡がって行くし、その事自体が喜びになれば、更に大きな希望へと循環していくのだとバカなワタクシでも実感できた。

本当に有り難い。

撤収が終わり、高寿園の皆様に御挨拶させて頂き、今回最後のセレモニーの場所に移動を始める。

その会場とは、陸前高田市の中心にある、市民体育館。
ここは、地震が起こった際に避難場所となっていた所で、津波が起こった際には1000人以上が避難していた場所。
ここでその殆どの方がお亡くなりになられた、もしくはまだ行方がわかっていない。
長松ご住職のご意向で、ここで全員でご供養のご回向をさせて頂く事になっていた。

前回に来た時にも、震災被害の中でも最も悲惨な場所かも知れないと聞いていた所だったので、やはり近づくにつれ、何かわからないが胸を圧迫する、締め付けられるような感覚を強く感じた。
遠くから見ているよりもはるかに大きい建物で、ここが丸ごと波に呑まれたのかと想像すると、背筋が凍る。

写真では分からないが、こちらが海側で、この丁度裏側は壁が全部崩壊している。
津波の勢いが建物を突き破ったのだ。


この時計が止まった正確な時刻は読み取れないが、恐らく津波が到達した15時台だと思われる。




ただひたすらにお看経させて頂いた。
ここで亡くなられた1000人以上の方の想いは知り得ない、はかり知れない。
今生きている我々がどう生きて行くか、だと思う。
何百年に一度、1000年に一度と言う人もいる今回の震災を考えれば、長く生きて100年の僕達の起こす行動などは微々たる事かも知れないが、それは繋がり、連なり、大きな流れへとなって行く事は確かだ。
実を結ぶのはどれだけ先でも、僕達の子供、孫、その子供たちの未来へと繋がっている。
ここで生まれた笑顔が、より多くの笑顔へと拡がる。
今各地で起こっている反原発のデモはその一端だろう。

人それぞれカタチは違えど、それを胸に行動していきたい。
現地に行った行って無いはこれには関係ない。
でも行った、感じた事としてそれを伝えたい。


南無妙法蓮華経。

後日、ここから奇跡的に生還された6名のうちの一人である方から長松ご住職宛てにメールが来た。
実は29ersの炊き出しに来て下さっていたらしく、その御礼も書かれていた。
本当にありがとうございます。
このメールに、僕達には及ばない実際にこの近代における最大の天災を経験された方にしか悟り得ない、嘘偽りの無い心境が書かれているので、ご紹介させて頂きたい。

続く
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